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シリーズ「堪忍袋の緒が切れる時」②

 今日は久しぶりのジャンルです。そして、タイトル見て「何これ?」って思われた方もいるはずです。
 実は1回、このシリーズやってるんですが、シリーズになってないんですよね(笑)。しかし、高校生活の約3年の間にも腹立たしいことは当然ながら多く起こり、そしてしばらく経っても消えない怒りを出してみたいと思います。こういうのが嫌いな方はスルーでお願い致します。


 さてさて、今回の私の怒りは、「東日本大震災」です。世間一般には国の対応の遅さや原発事故などなど多くあるかと思うのですが、少々私的な話をさせてもらいます。

 怒りの的は「私の通っていた高校の校長」です。報告が遅くなりましたが、無事3月1日に県立高校を卒業してきました。卒業するまでは生徒会長やらなんやらで結構立場もあり、やはり自己を守らざるをえなかったのですが、もう卒業してしまえば、こっちのもん、ということで、周りの多くの方の薦め?等もあり、話します。



 私の通っていた高校は、栃木県北部の矢板市にあります。高校近くには国道4号も通り、矢板駅からも歩いて10分ちょっとぐらいです。
 私が2年の時にその校長は異動して来ました。最初の印象は、自己主張がしっかり出来て、いい考えを持っている、といった好感でした。他の友人もいっしょでした。ただ、月日が経つうち、生徒会役員をやっていた友人からは「メチャクチャ言うてるだけ」という話を聞き、疑いも持つようにもなりました。
 その後、一昨年の秋に生徒会長になった私は、座談会等で直接話すようにもなりました。ただ、おっしゃっていたのは要求だけ。我々の要望には耳を傾けようともしない姿勢はその時から薄ら薄ら感じ始めていました。

 そして、昨年3月11日。東日本大震災が発生しました。当時のブログの記事にもあるとおり、高校では授業中、すぐに先生方と校庭に避難しました。矢板市は震度5強。余震も続き、とても不安でした。私は友人らと自転車や友人の父親の車に乗せて貰い、高根沢まで帰りましたが、通っていた高校の通学範囲は北は福島県境ギリギリのところから南は宇都宮まで、と大変広く、電車もバスもない中、4号線も大渋滞の中、帰る手段は簡単にはありませんでした。ですから当然ながら、遠くから通っている生徒は親の迎えを待つしかなく、先生方は夜の9時ごろまで体育館に帰れない生徒を待機させ、ストーブをつけて、パンや牛乳などを職員室などから差し入れて持ってきてくれたそうです(当時いた友人談)。先生方も生徒の確認や面倒を見つつ、日の昇っているうちに学校のなかを片付けようとすぐに職員室に集まっていました。翌日以降は通常の仕事が出来るように、大変苦労なさっていたと、先生から直接話を伺いました。

 その当時、校長は宇都宮で県立高校の校長の会議があったそうです。当然のことながら、会議は中止になったそうで、帰ってこようとした、ここまではいいのです。しかし、帰る先がなんと高校ではなく、自宅だったと言う事。ちなみに自宅は那須地域にあります。ちょうど中間にある高校には寄らずに、自宅に直行したというのです。
 普通は、こういった災害があったとき、長を勤める勤務先に直行し、職場の人間はもとより、学校でありますから生徒の安否などを心配するはずです。それが真っ先に家へ帰ったと。高校へは、電話確認で教頭先生に確かめただけとのこと(先生談)。

 これらの話は、昨年の春に他の高校へ異動になった複数の先生から伺いました。あまりにもひどすぎて、聞いたときには絶句してしまいました。しかし、話はこれだけでは終わりません。


 約1ヵ月後、学校の新学期が始まったある日の放課後、余震が発生。その時、校長は学校に居たのです。しかし、客が居るから、という理由だけですべて教頭先生に委任。その際に教頭先生が「学校から出なさい、早く帰りなさい」とおっしゃったこともあり、生徒は店も入れない、電車も動いていない、バスは便自体無い、電話もつながらない、そして雨が降ってくる中を彷徨うしかありませんでした。私は部活の部長をやっていたので、部室の鍵を持っており、部室を開けて、コンロを焚いて暖をとらせ、周りに居た生徒を入れました。他の鍵を持っていた部長の友人らも同じようにしていました。
 ただ、このときの学校の対応には多くの生徒が、震災以上に不満を募らせて、私や他の役員のもとに学校側への抗議や説明を求めるようになりました。

 後日、教頭先生の発言に対して我々が質問をし、教頭先生からは「当時、職員室に電車が運転再開したという情報があったので、それでそういう指導をした。しかし、あとで誤報だと分かり、まだ残っていた生徒は震災時と同じ通りに対応した。これからはしっかりと情報も確認をする」という返答とあわせて生徒への謝罪を頂きました。多くの生徒はこの件については、教頭先生からの説明があったと言う事で、理解をしてくれました。


 しかし、今回のような災害はいつまた起こってもおかしくない、そして我々には反省点も多くあった、ということから、生徒会ではいろいろと考えて、6月にある、生徒・保護者・学校の三者が話し合う場での、生徒会側からのテーマとして、「災害時の三者の共通マニュアル」のようなものを作る、といったことを提案しました。三社で今回の震災時を反省したり、それぞれの対応を考えたりすることで混乱をなるべく避けられるよう、軽減できるようにしたい、といった旨のものです。これは生徒会はもとより、多くの生徒や先生方からも共感を得る事が出来、自信を持ってプランを進めました。

 ですが、やはり校長のメスが。話せば都合の悪い事が、保護者の前で明るみになってきます。それが嫌だったのでしょう、ボツ。でも、我々だって生徒代表の意見ということもあり、懲りずに推しました。しかし、生徒会の顧問の先生からも「残念だけど…」という話。
 我々は葛藤しました。私は毎日家に帰ってからも企画書の打ち直し、今日の話し合いの反省、まだこれは生徒会長の役目としたら楽です。就職してからの仕事はこれ以上に辛いものなのかもしれません。そして、役員たちも毎日のように考えをメールしてくれたり、話してくれたりしました。先生方も相談に乗ってくれて、アドバイスも多くくれました。役員でない多くの友人も、今だからこそやってほしい、といった強い要望を出し続けてくれました。
 それでもダメ。私は絶望的になったときもありました。しばらくして、自殺なんかといった軽率な考えすら出てきました。しかし、テレビで毎日、矢板以上にひどい太平洋沿岸の津波の被災地を見ていると、そして生きている人々を見ると、アカンと思えました。こうなればできる限りの手は尽くさねば、と考えて、保護者の手を借りることにしました。PTA会長が私もよく知る友人のお母さんで、電話で「そういった話を少しでもいいので話したい」とお伝えし、「我々も出来る限りのことをする」という返答を頂きました。しかし、学校(というよりは校長)はほかのテーマを出せ、とずっと言ってきます。もうこちらとしても打つ手は打ったので、最悪の形として、座談会の全役員と出席予定の生徒欠席を計画しました。我々の伝えたい意見を聞き入れてももらえないのなら、最悪その手も考えて欲しい。役員にはそう連絡しました。もちろん賛否両論。でも、我々が一番必要としている、そして将来のためにもなること、この2点を考えれば、私はそうせざるを得ないと考えました。

 座談会当日。私は真面目に作れてもいない、考えられてもいない、ただの形だけに過ぎない第二案を作っていました。協力してくれている保護者の皆さんには裏切る事が出来ないと思い、しかし多くの人間に申し訳なさを感じつつ、印刷しました。多くの役員が、生徒が、何か煮え切らない態度で座談会に臨みました。私も精一杯笑顔で返答し続けましたが、限界とのギリギリでした。そして、最後のころにPTA会長さんから話が出され、生徒の意見を述べる機会が続きました。役員はもとより、各クラスの代表生徒からも厳しい意見が出されました。最後に私が代表して、それまですべて答え続けてきた教頭先生ではなく、学校の長である校長本人からどう考えているのか、そしてどう改善するのか、答えを求めました。しかし、返答は政治家的な「前向きに」といった曖昧なものでした。

 もちろん、多くの生徒は不満と不安を抱えたままです。生徒会長最後の挨拶のときも、この件について、皆さんが引き続き関心を持ちつづけ、風化せぬうちに将来のためとなるよいものを作って欲しいと述べました。校長にはその後呼び出しされたので、受験生だとかそういったことを全て捨てて、思っていることを全部出してきました。1時間近く激論を繰り広げました。校長は、放射線量だとかそういう出来ることは全部やってるつもり、と我々が代表して述べてきた意見とは全く違うことしか主張せず、つもりということはまだまだできる事があるだろうと言えば、保護者と生徒の間の話は家庭の問題だ、などと結局はやりたくないということしか言っていませんでした。


 まもなく震災から一年、あっという間に我々は何も出来ませんでした。そして、自己の利権しか考えていないアホンダラの校長はまだ居座っています。だから、まだ生徒や多くの先生方、そして保護者は不満が残っています。震災の時、学校の生徒職員よりも自分の家族を最優先させた校長。危機管理能力が全くと言ってありません。そしてその校長が今でも校長として、学校にいることに私は憤りを感じます。一刻も早く、学校の主役である生徒の意見を聞くことができ、学校という場で生徒を最優先に守ってくれる人間が長になってくれるように願ってやみません。栃木県教育委員会、ええ加減どうにかしてくれ。
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笑いの差はあるのか?

 最近、テレ朝の「シルシルミシル」にはまってます。あの番組、面白い。
 好きなのは「お初」のコーナー。初めてに○○に挑戦するというのには、必ず板東英二さんが出て来ますね。立派なレギュラーです。
 今まで見てきた中で、一番笑えたのは「トルネード投法」のお初。野茂投手がやっていた投法なんですが、元プロ選手の板東さん、2回ぐらいマウンドでこけてました。他にも、一般の人の投げ方なんかは笑えます。あとは、お初のコーナーではないんですが、CMについての特集で「エステー」(元・エステー製薬化学)のCMのあの、「エステー」という声を122回録り直したという話。番組の表現の仕方も笑いを誘うもので、なかなかあの番組は出来てると思いますよ。おススメです。

 そういえば、お笑い番組について、友人と語る機会があったのですが、正直「レッドカーペット」とかいう番組は分からんもんですねえ。笑えるツボがどこなのか、そもそも面白いのか?とか疑問を思いながら見てます…。正直言ってしまえば、低レベルだと感じてしまうんですよね。しかし、友人は「面白い」とか「笑える」というので、やっぱり個人差でしょうか??
 やっぱり私は親の影響もあり、どっちかといえば関西の芸人のネタの方がよくウケます。ただ、フジテレビの「細かすぎて伝わらない…」というのは好きですね。先々月にSPがあって、ウクレレえいじさんが優勝されてましたが、素晴らしいと思いましたね。録画をし忘れたので、You Tubeで見ましたが、何度見ても笑えます。やっぱり、ああいうのこそお笑いなのだと私は感じました。

 言ってしまえば、どこでウケるかは個人差があるのですが、ちょっと気になったので記事にしてみました。

シリーズ「堪忍袋の緒が切れる時」①

 今日のタイトルの「堪忍袋の緒が切れる時」。私が今までに書いてきた、ちょっとした不満なども含め、そんなことをごくまれに書いていきます。しょうもないとかこんなことでとか思うかもしれませんが、一個人の意見として受け取ってくだされば幸いです。


 さて、今日は先月に引き続いて、県外へドライブ。今日は千葉県警のすべての路側放送を受信、また外環道・埼玉県警などのラジオも…と思っていたのですが、結局千葉県内を回るだけで終わってしまいました。なお、千葉県警の全局が同じ放送。シートベルトの着用啓発だけという、警察路側にしては味気ない感じでした。

 その帰り道に、新4号バイパスを利用して、帰っていたときのこと。丁度、春日部を過ぎて、国道16号とぶつかる庄和ICに来た時、事件は起きました。
 庄和ICは下のような複雑な構造になっています。(絵自体複雑ですが)
ikari1.jpg
 このIC付近は3車線あるのですが、下りだと16号方面が左へ、4号方面が右へと分離します。丁度、我が家の車(赤)は中央の車線におり、そこから右に寄ろうとしたのです。しかし、交通量が多くなかなか入れません。結局、入れそうなスペースを見つけて入ったのですが、後のトラックは減速すらしないのです!中央分離帯のゴムポール?を轢きながら、強引に入りきりましたが、その後信号で停車中に思いっきり、トラックの運転手に怒鳴られ、蹴られ、そしてサイドミラーまで壊されてしまいました。

 まず、この時は夜間です。3車線→2車線への車線減少についての表示板がよく見えず、直前になって気づいたため、このような結果となりました。また、強引に入りきったのも運転者である親が悪かったかもしれません。
 加え、親の「強引に入りきった」という運転は事故を招きかねません。画像の上中央にある黒棒1本は中央分離帯を表しているのですが、ここに追突したかもしれませんでした。本当に危ない運転だったと親は当然ながら、ナビ役の私も感じています。これらは親の無謀な運転でした。

 しかし、トラック(青)の運転手の非を見逃すわけには行きません。まず、こちらはウィンカーを出し、入ることをアピールしているのにもかかわらず、速度を上げて車線に入ろうとすると、トラックも速度を上げるのです。これはゆずりあいがないというものではないのでしょうか?
 また、その後の行動についての問題が多すぎます。信号で停車中に降りてきて、注意するのは構いませんが、交通量が多い道路のそれもど真ん中ではやめるべきではないだろうか。そして、怒鳴るのはまだしも、人が話をしようとすると、ドアを蹴ったり、叩いたりするのはええ加減にしてもらえないか?というか、子供は見とったよ。あんたの全部の行動を。その後、最後にコブシでサイドミラーを思いっきりたたき、見事にポキッと折りやがって。この時私は唖然としましたよ。さすがにミラーを拾い上げ、投げつけてきましたが。その後ささくさと逃げていったので、私もナンバーとトラックですから、社名ぐらいは…と思いましたが、母親が信号が青だからと云い、発進させてしまいました。

 サイドミラーを渡された私。その時未練が脳裏をよぎりました…。それは夏休みに乗ったグリーン車で、私の隣の席(通路側)にいた若い姉ちゃんが、子供がイヤホンに引っ掛かり外れたけれど、何も言わずに逃げて行ったことに対して、「ゴメンぐらい言えよ」と怒鳴っていたこと。それを注意できなかったこと。これが一番の未練というか何というか...。それを完全に忘れていた時でした。今日の事件の時、それを生かして「ちょっと!!壊して逃げるんかい!」とか逆ギレしたほうがよかったのではないか。いろいろと考えてしまいました。本当に無念でした。今でも悔やんでいます。注意というか、何かを言ったらないと、相手はつきあがるだけや! と。
 そんなこんなで母親と妹と3人で言い合っていたとき、父親から電話がかかってきました。もちろん、父親に報告すると、案の定「ナンバープレート記憶したか?」でした。「それが出来へんかった」と伝えると、「そうか…」と言っていました。あの時、「警察呼ぼか?逃げたら追うど!」とでも言えば分からなかったかもしれません。ナンバーを見れなかったことは本当にショックでした。

 その後、父親の電話を切りましたが、いらだちと無念は残るばかり。今でも、どうにかしても探したいぐらいです。そして、器物破損と脅迫で責任を取らせたいぐらいです。妹の一言に「なんか臭かった」というのがありまして、これを言う私も悪いですが「飲酒運転で電柱に一人で衝突して死んでまえ!」と。それぐらい、イラチの私は怒ってます...。ただ、どこにもぶつけられない思い、そして自分の何も出来なかった行動に、今日は反省したいと思います。
 まあ、母親も私ももっと案内板を早く見つけるべきだったとか、安全運転に心がけなアカンとかいろいろと反省しました。母親は昨日もイラチや!とか家で言われてましたが、今日のこういうことだけは「殺されたり、ちょっと出て来いなんぞ言われるよりはマシやから、ずっと『スミマセン』で済ましたわ。『でもね』なんぞ言ったら、それこそ命の保障なんかあるかいな!」と冷静に対処してました。結局、カッカしてたのは私だけで...。

 ちなみに、自動車のエンジニアで、車には詳しい父親は、ミラーだけで高くて1万ぐらいだろうと言っていました。今年はバンパーも壊され(これは駐車中で、相手の過失です)、メチャクチャでした。我が家の車は厄年なのでしょうか??
 もし、これを見ていたら…、として。今回のトラックの運転手へ。すぐにメール下さい。会ってでもええから、そちらの言い分聞かせてもらいます。あなたと違って、私は話を最後まで聞きますよ。ただ、こっちの怒りは爆発寸前じゃ!!覚悟せえや。
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