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久しぶりの中継局訪問

 今日は、久しぶりに中継局訪問に行ってきました。あまり遠出は出来ないので、近場の塩原に行ってきました。塩原には塩原局と上塩原局があるものの、どちらも地デジ化されずに廃止されることに。廃止前に行きたかったのですが、震災の影響などもあり、行けずじまいでした。ようやく今日行けたわけです。

 朝も時間ギリギリに目が覚め、朝食もそこそこにすぐ駅へ。07時08分黒磯行きで西那須野へ向かいます。定期は矢板までですので、矢板-西那須野の190円を精算後、バス停へ。JRバスの塩原行きに乗車し、フリーきっぷを利用。朝8時前ですが、5人程度客がいました。途中の千本松停留所は待合所の屋根に時代を感じさせる停留所(駅)名板。関谷宿も自動車駅の名残でしょう、関谷宿駅と書かれた建物があり、JRバスがよくやってるコインランドリーもありました。昔、関谷宿は矢板からもバスが来ていましたからね。確か、矢板北線といったような…。今は那須塩原市営バスと矢板市営バスが上伊佐野小学校を境に運転していますが、接続が取られるのは1日1本だったはず。過疎化とモータリゼーションの波です。

 バスの乗ること約40分で塩原小学校入口バス停に到着し、そこから塩原局を目指します。スキーの行き帰りのたびに見ていた局だったので、楽しみにしていましたが、登り口探しで時間を食いました。中継局は一般的な中規模局タイプ(矢板とか馬頭と同様です)。逆光で写真写りが悪かったのと、妹が友人とバスツアーに出かけているのでカメラが古いタイプしかなかったためにズームが活躍出来なかったのは残念でした。
 再び下に降りると、バス停の目の前に観光協会の旅館案内所などがあるのですが、そこで私の好きな大鍋が出ているではないですか!まだ作っている途中でしたが、何汁なのか後で来ようと楽しみにして、今度は那須塩原市営バス「ゆ~バス」に乗車します。

 塩原支所前で下車し、そこから徒歩で上塩原局を目指します。日塩もみじライン(有料道路)を40分ほど歩いていきました。昔は乗ってきた塩原本線の分線として、奥塩原新湯線があったようですが、2005年ごろに廃止された模様。末期は1日1本程度だったようなので、あったとしても今回使えたどうかも分かりませんが。
 上の平地区というところに着くと、住民の方を発見。以前訪問した際に、動物除け電気柵があり訪問できなかったので、詳しく聞いてみると、柵に入口があるとのこと。ただし、動物が開けられないようにしっかりと柵の鎖を締めてと言われました。お礼もそこそこに向かうと、あった。しかも案内看板も。鎖を慎重に開けて、進むと笹が生い茂っているところを慎重に進めば、程無く到着。帰りはしっかり柵が開かないように鎖を締めて、確かめて後にしました。
 先ほど案内してくださった住民の方を訪れてお礼を言うと、その方も近頃は鉄塔は見たことが無いらしく、写真をお見せしました。また、少しお話をお伺いすることができたのですが、中継局が出来たころは木もそれほど高くなかったらしく、鉄塔が見えていたそうです。比較的頻繁にNHKの方も来てメンテをしているとのこと。加えて、この地区のテレビ受信についても聞かせて頂いたのですが、民放はカラーでも映りが悪く白黒で何が映っているのかわからないことも少なくなかったとか。共同受信を整備するにしても、NHKに頼めば数年待てと言われ、自主的に整備したところ、今度の地デジ化では自主的な設備だったために、再び負担が。下の塩原支所から光ケーブルで持ってきているそうですが、700万を超える負担だとか。整備補助も無いのです。数年待ってNHKの整備した設備の新湯地区はそれほどの負担で無いらしく、テレビを見るだけでも大変なご苦労をされているようでした。そんなこんなでお茶まで頂いてしまいましたが、本当にお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 その後、時間の関係でタクシーを呼びました。40分が10分で到着。支所からゆ~バスに乗っていると、先ほどの話の途中で「コスプレをやっている」という話の通り、温泉街でイベントをしていました。軍服姿や武将姿などのコスプレを観光客も楽しんでいるようでした。時間の都合上、先ほどの大鍋を食べることは出来ませんでしたが、塩原温泉駅からアグリパル塩原に行き、そこからゆ~バスの接骨木(にわとこ)線に乗って西那須野に戻りました。西那須野からの電車には途中の矢板で部活帰りの同級生が乗ってきたりして、ビックリしましたが、今日はとても良い中継局訪問になりました。

 さっそくHPにアップしたので見ていただければ嬉しいです。
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あっという間の1ヶ月

 地震から1ヶ月。学校で体感した震度5強の揺れ。みんな無事でよかったというだけです。

 ただ、余震がまた頻発していますね。大抵緊急地震速報が鳴る地震で、私の部屋の勉強机から本とかが落ちるんですよ。家も大分やわになったみたいです。でも、日常生活が出来るだけ本当にありがたいです。


 さて、私も帰省したりして、バタバタしていたのですが、ボランティア活動を地元でして来ました。
 高校のある矢板の社会福祉協議会から連絡があり、瓦礫撤去の依頼。生徒会役員や生徒有志15人でやってきましたよ。女子も瓦の撤去作業に従事。喜ばれて何よりでした。驚いたのは学校の職員室の先生方の反応。翌日には報告書を作成して持っていったんですが、わざわざ各クラスで連絡してくれたりしました。こうやってみると、ボランティアで喜んでくれる人がいるのがとても嬉しいですね。

 ただ、その後の余震は大変やった。宮城沖で夜中に起きた地震では勉強中だったのですが、机がまたえらいことに。とちテレを見たら、アニメをやっていたんですが、津波警報が出たのに津波情報のテロップはなし。あれは社員がいるときでないと、出来ないのかなあ…。
 その後、夕方5時過ぎの福島で震度6弱の地震は学校で遭遇。部活動紹介を終えた後、昇降口で役員を待っていると、携帯が鳴り、下から突き上げる揺れ。その場にいる1年生を落ち着かせて、グラウンドで部活中の陸上部に待機を命令。定時制はちゃんとグラウンドに生徒が自主的に整列して避難していました。全日制も見習わな。
 会長として、3階の生徒の安否を確認した後、職員室で今後の対応を相談。部活動は終了指示が出たと連絡を受けるも、電車が動いていないので帰宅できません。そのために部室で各部員の帰宅状況を確認。最後までいたのは私と剣道部、弓道部の友人、陸上部の友人3人の6人のみ。私は弓道部の友人と最後に帰宅しましたが、父親が渋滞に半ギレでした…。仕方ないんだけど...。
 帰宅してからもまた速報が鳴ったりと、バタバタの1日でした。

 このとおり、1ヶ月経っても落ち着かず、授業中に緊急地震速報が発表されると、一斉に携帯のサイレンが鳴り出す。そんな状況です。

 放送の話題を扱うサイトとして、放送局の報道を見ていますが、やはり地元の情報を伝えてくれるところがあるだけで安心します。とちテレ、CRT、レディオ・ベリーのおかげでどんなに助かったか。地元の放送局には感謝、感謝です。今後も情報を絶やさず、役立つ正確な情報を伝えてほしいです。

 1ヶ月経って改めて思うのは東北の被災者の方々はもちろん、日本人の強さはすごいということ。地道ではあるけれども、絶対元に戻るまで、我々もできることはどんどん協力します。旅行好きとしては、復興した三陸沿岸を列車やバスで旅行できる日が来ることを心から祈っています。どんなに時間がかかっても、いつかは元に戻る。原発もこれ以上状況が悪化しないことを願ってやみません。

47都道府県庁所在地制覇

 実は、地震の2日前まで旅行に行っていました。まだ書き終えていなかったので下書き段階にしていて自身が着たので、しばらく公開を控えていたのですが、1ヶ月という節目もありますので、公開したいと思います。なお、地震発生前の原文ですので、今当然不通になっている区間もあります。一応、記録として残しておきます。


 ついに北海道・札幌に上陸してきました。これで47都道府県庁所在地制覇です。

 今回は高校入試の休みを利用し、北海道を一周するような形で旅行して来ました。しかも今回は鉄道好きの後輩を連れて。
 出発は3月5日。始発のいつもの北上ルートで宝積寺→黒磯→福島→仙台→小牛田と進みます。ここでトラブル。いつもであれば、仙台10時40分発は前2両が一ノ関行き、後2両は小牛田止まりとなるのですが、今日はすべて小牛田止まりで乗り換えさせられたのです。すると、電車が来ない。20分以上遅れてきました。後輩が一ノ関駅に電話したところ、乗換え予定の12時23分発は連絡しないとのこと。ずーっと2人で相談して、盛岡と八戸の間だけ新幹線を使うことにしました。一ノ関に着いてから、盛岡の金券屋に電話して新幹線のチケットを取りおきしてもらい、盛岡まで普通列車で行きました。走って金券屋に行って、購入。途中、バス乗り場で岩手県交通と岩手県北バスの時刻表を入手。そして新幹線に乗車。せわしない旅です。
 八戸でも普通列車への乗換えが5分しかなかったのですが、何とか乗車。青森で津軽線に、蟹田で津軽海峡線に乗り換えました。スーパー白鳥は乗り心地が良かった。そして、木古内で普通列車に乗換え、函館まで行きました。函館では一旦バス乗り場で高速バスの予約券を乗車券と引き換え、市電に乗って湯の川温泉に行きます。なかなか市電が信号待ちで進まず、イライラしましたが、温泉でゆっくり出来ました。結構温泉は熱かったです。湯の川温泉東から高速はこだて号で札幌へ向かいました。

 翌朝、時計台前で下車して、時計台を撮影。札幌6時発の旭川行きで旭川へ。ここからは駅前で道北バスのバスカードを購入。ICカードは7000円からのはずだったんですが、1000円から大丈夫とのことで一安心(もともと7000円でも買うつもりだったんですが)。上川まで行きました。途中、建設路側栄町を受信。コンビニに行ったりして、12時01分発特急オホーツク3号で遠軽まで。遠軽から普通列車を乗り継ぎ、釧路まで行きました。釧路湿原のあたりでは鹿ばかりで列車も大幅に遅延。ずーっと警笛が鳴ってて騒がしかったです。

 釧路で一泊して翌日の始発で帯広へ。北海道の広さを実感しました。帯広からは路線バスで十勝川温泉に行き、足湯に入ろうとしたら、なんと冬季閉鎖中。GWからだそうで。当然といえば、当然ですね...。そして、観光バスの日帰りツアーに乗車。途中、とかちむらで昼食&ばんえい競馬見学と日勝峠、夕張のドライブインで買い物。日勝峠のアイスクリームはメッチャ牛乳が濃かった。もちろん路側放送もしっかり録音しました。
 予定より1時間早く新千歳空港に到着し、鉄道で札幌まで向かいます。札幌からは本当は鉄道でしたが、予定がかなり早く動いたので、高速おたる号で乗車。しかし、途中で交通事故があり通行止めとなり、一般道経由となりました。ハイウェイラジオは幸い受信できたのですが。小樽では買い物をしたり、後輩は記念入場券買ったりしていました(もちろん私も買いました)。19時21分の長万部行きで黒松内へ。黒松内の駅前にある、及川旅館で1泊しました。

 旅館では2人部屋で寝ました。他にも工事関係の方が多くいらしたようで、朝早くに仕事に向かわれました。テレビは地デジでしたし、部屋も過ごしやすく、また駅前というのが本当に便利でした。女将さんもとても優しい方でした。翌日、私だけ建設路側北作開を受信しに、7時半前に出発し、寿都行きのバスに乗ります。しかし、路側放送がかすかにしか受信できない。看板なども無く、少々不安でした。あまり満足した結果を得られずそのまま黒松内まで戻り、遅めの朝食をいただきます。鮭や煮物、美味しかったです。
 9時半過ぎの列車で倶知安まで行き、倶知安から道南バスを乗り継ぎます。乗換えでルスツリゾートで降りると、やっぱり倶知安はオーストラリア人が多く、私も50ぐらいのオーストラリア人の男性に話しかけられ、知ってる限りの英語で話していました。ちなみに自信を持って答えられたのは「This bus is bound for Niseko.」(このバスはニセコ行きです)だけです。その方は倶知安に行きたいとおっしゃっていたので。
 12時16分の長距離路線バスで札幌へ。予約が要ると書いてありましたが、特に予約しなくても乗れたみたいです。お客はそこそこといったところ。途中、建設路側石山を受信しました。札幌には少し定刻より遅れて到着し、そこから後輩と一旦別れて、単独行動していました。自分は建設路側篠路を受信しに篠路まで、後輩は札幌駅近くの車掌所?で記念切符を買いに行っていました。さすが鉄だけありまして、後輩は余った時間で地下鉄の「SAPICA」を買って、南北線を乗りに行っていたみたいです。言うまでもなく、私も「SAPICA」は買いましたよ。
 4時に札幌駅で合流し、お土産だけで1時間悩みました。駅弁買ったりしていたら、5時になり、駅から歩いて、中央バスのターミナルまで向かいます。その後買い物などをして、18時20分の高速はこだて号で函館へ。道中、私は受信しながら、上映される映画を見ていたのですが、この前日テレでやっていた「築地魚河岸三代目」(でしたっけ?)と「アマルフィ」を見ちゃいました。まさか映画館行かず、北海道で見れるとは。五稜郭駅前で下車し、吹雪の中30分ほど歩いて、青函フェリーのターミナルに到着。受付をして、待合室のテレビで「明石家電視台」と「タモリ倶楽部」を視聴。後者は遅れネットみたいで、見た奴やっていました(バスの運賃機の回だったかな?)。午前2時という真夜中にフェリーで北海道を離れます。欲望に負けて、船内のカップ麺食べて、寝ました。

 起きたら6時前。もう奥羽本線の普通列車の始発には間に合いません。下船後、諦めて歩いて駅まで行こうかと思いましたが、消雪パイプの水で靴がびしょ濡れ。タクシー使いました。その後、青森から弘前→大館→秋田と来たところで、あの東日本大震災の前震ともいえる、震度5弱の地震発生。津波注意報発令。そして、電車も止まります。秋田新幹線が運転を見合わせた影響で新庄行きの列車も通れないのです。結局、30分ほど遅れて新庄に着きました。そこで買った山形新聞の夕刊には早くも「震度5弱」の文字。この2日後にまさかあんなことが起ころうとは予想だにもしません。新庄からは順調に山形→米沢→福島→黒磯という経路で順調に帰れました。


 実はこの後に震災後ではありましたが、またあちこち旅行していました。帰省も兼ねて。

 震災1ヶ月について、また別記事で書きます。
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