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夏休みも終わり

 高校入学してからずっとですが、夏休みの課題は終わりきりませんでした…。
 まだまだやらんといけないことあるので、早急に。しかし、今週の学校祭までは手も足も出んです…。

 実は旅行から帰ってきた後、軽く熱中症らしき症状があり、ほとんどダウンしてました。
 後期補講(8/16~8/22)もそれ以降もほとんど学校祭関連で、勉強できず。そんな中で4冊テキストを終わらせたのはある意味奇跡かもしれません。

 今日も地元・高根沢のあちこちの小学校を夕方5時半から副会長と自転車で回って、ポスター貼りのお願い。もう勉強もそこそこに書類書いているのが現状です…。
 ただ、学校祭こそが生徒会長としても最後のイベントなので、力を注ぎたいと思います。



 と、まるで大変なように書いていますが、夏休みもちょこちょこエンジョイしてました。
 昨日も東京に路側放送を受信に。ようやくファイナルです。最後まで残った環七・環八の南側を中心に受信しました。
 受信局は南台、堀ノ内、西永福、高井戸、給田、狛江、砧、千歳台、瀬田、尾山台、田園調布、環八鵜ノ木、雑色、梅屋敷、大鳥居、青物横丁、南馬込、中目黒、自由が丘、目黒本町、大原、羽根木、上馬、三宿の各局。このうち、電波の各人が出来なかったのが、以下。西永福は調整中の幕が看板にかけられていました。給田、田園調布はブルーシートで看板が覆われており、南台、堀ノ内、雑色、中目黒、自由が丘、目黒本町、羽根木は看板も確認できずといった結果でした。それ以外は各局受信できました。千歳台は毎正時の局名アナウンスも収録。

 一通り終わった後に、というよりは予定を変更して、代々木の都営地下鉄駅へ。実は、都営交通百周年の記念切符が発売されたそうで、4種類全部買うと特典もついてくるというものだったので、せっかくだからと行って見たものの、やはり売り切れ。しかし、都の交通局にまで電話してくれて、わざわざ探してくれました。駅員さんの手元にも資料はあるらしく、それをもとにしらみつぶしに調べてくれるということで、一発目のとある駅に電話すると、なんと4種類+特典もあるとのこと。すぐに行って買ってきました。トロリーバスの写真が載っているのが、個人的に嬉しかったりします。

 それより、交通局からの電話待ちの間に、駅員さんといろいろ話が出来ました。何でも、今回のきっぷは各種類2500枚だけだったために、早い駅では発売日の始発電車前に売り切れた駅もあったそうで。代々木も3日目で売り切れたらしいですが、それでも遅いほうだったと言っていました。また、今年度版のみんくるガイド(都バス路線案内)も貰いました。これも今年は印刷会社との折り合いがつかず、発行しないはずだったそうですが、震災後に遅れながらも何とか印刷されたとのことでした。最後に、栃木から来て買えて良かったと話すと、驚いていました。本当に買えてよかった、代々木の駅員さんありがとうございました。

 その後、銀座まで行き、ソニービルで今月末まで行われているエリアワンセグの実験局を受信して、帰って来ました。さすがに夜遅くの帰りで、翌日の準備などに追われ、バタバタしてしまい、今日はほとんどの授業で爆睡。体調管理はちゃんとやらんとね。
 


 最後に放送系のネタを。

 先日、8月24日のこと、夕方、栃木県地方は大変な大雨と雷に見舞われました。毎年のことではありますが。
 しかし、この日は今年で最も酷いと言っていいほどの嵐。高速は通行止めになるわ、電車は関連の信号トラブルやらも絡んで遅れるわ、住宅浸水するわ、凄かったんです。
 私は最近、生徒会室で夕方を過ごす事が多く、この日は校内発表用の映画を一日で撮影後、残った役員といつ帰るかなどを話していました。ただ、疲れて私は寝てしまったんです。そしたら、すごい大雨と雷。

 6時ごろにCRTラジオをつけたら、なぜかニュースではなく、交通情報がBGM無しでかかっていました。その後も、CMも流れず、音楽演奏ばかり。CRTイブニングタイムズのエンディングで、川島アナが「停電で放送が乱れて申し訳ありませんでした」と謝罪。その後のナイターもニッポン放送からの本編は流れるのに、CMだけ出ない。聞いていたのが那須局だったので、宇都宮局に回してみると、こちらはCMが出ているんです。気になるので、CRTに電話してみたら、5時半頃に本社に雷が落ちて、システムに障害が発生している、と。どうも、番組の送出系に異常があり、各局別のCMを放送しているために、宇都宮の装置を回復した後、しばらくしてから那須の装置も回復したようでした。しかしまあ、本社にあるんですね。那須支社か那須局の送信所にあるものだと思っていましたが。

 結局、その日は電車が止まってしばらく帰れなかったので、役員とサポーター(=私の友人)とトランプで大富豪やってました。7人のメンバーのうち、ほとんどが課題は未完了です...。


 最後にもう一つだけ(栗山秀樹風に)。
 とちテレで久しぶりにニュース速報が出ました。菅首相辞任の一軒です。やっぱり、気象速報や地震速報、津波速報などとはシステムが違うらしく、マール体で「とちぎテレビ ニュース速報」と出ていました。光化学スモッグ注意報の時も同じです。マスター更新前もゴシックでしたからね。まあ、気象とか地震ほど、出すネタが無いのも事実です(いいことなんでしょうけどね)。
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受験生の夏休み

 また一ヶ月放置。これからもうこんな状態が続くんでしょうね...。

 さて、夏休みが始まりましたが、高校の補講なんかで学校に行かなくて済むのは8月の前半半分だけ。その中でも、山岳部の合宿(最後の山岳部での登山)で奥穂高岳行ったり、東北に行ったりと遊びまわっています。

 7月末には家族で函館にも行ってきました。車で青森まで行き、予定では函館まで特急だったんですが、両親の運賃が高いと一言でフェリーに変更。今回は初めての津軽海峡フェリーに乗りました。青函フェリーとは違って、さすがに運賃が倍近く高いのですごい豪華。勉強もはかどりました。二等客室にある液晶テレビは大間の手前あたりになって、青森のテレビ局が映らなくなり、BSに切り替えました。そこからはワンセグを見ていましたが、函館のテレビ局は結構入りがよかったです。函館では海鮮丼やらいかやら贅沢三昧。夜景を見に行くために函館山にも登りましたが、残念ながら濃霧で見えず。鉄塔どころか局舎壁面のロゴでさえもうっすらとしか見えませんでした。
 翌日は両親が市場でかにを購入し、父親が行きたいと行っていた青函連絡船の摩周丸を見学。帰りは青函フェリーを利用。ほとんど寝ていたので記憶がありません…。本州に到着して、青森から帰る途中、スーパーで秘密のケンミンショーで見た大きな味噌を購入。母親は「この量でこの値段はええな」と大喜びでした。到着は夜中の3時。数時間しか寝ずに翌日学校へ行き、模試を受け…。やっぱり旅行は休みも無いと行けませんね。


 8月1日の深夜からは山岳部の登山で奥穂高岳へ。深夜というのは学校出発が0時だから。貸切バスで行ったんですが、高速乗ったとたんにピーという音。何やろ?と思っていましたが、どうも速度超過の警報音らしく、80km超えるとなってるらしいです。高速乗られへんやん...。2日は朝6時から上高地を出発して登山し、涸沢まで6時間ぐらい登りました。幕営地は岩がゴロゴロしていて寝づらく、設営の時は大雨で大変でした。翌日はサブザックで奥穂高岳山頂まで往復。昼前に涸沢を出発し、バンガローのある上高地までがんばって下山しました。その日は半日登山です。無事、夕方5時前に上高地に到着し、バンガローに。布団で寝られ、温泉もあり、しかも夕食も先生の配慮でレストランに。もう登山で無くなっていますが…。夜中は1年の女子が我々のバンガローに入ってきて、そのまま寝てしまい、面倒を見ていたので寝れず。最後の思い出になりました。途中、高速でFMとうみを受信。報告してみます。


 7日の夜からは復興支援を兼ねてお金を落としてこようと被災地へ。行くのは悩んでいたんですが、隣のクラスの担任の先生(宮城出身)の仙台市荒浜地区にいるおばあさんが津波で家を流されたという話を聞き、その時に「あの被災地のすがたは見といたほうがいい」と言われ、行くことに。池袋から高田・盛経由の釜石行きのバスに乗りました。高田は市内がほぼ壊滅的状況のため、避難者が多いサンビレッジ高田のほうを通ったため、被害状況は分かりませんでしたが、大船渡や釜石はこんな内陸まで、というところまで津波のあとがありました。
 釜石からは岩手県交通の路線バスで船越駅前まで向かいます。釜石も駅の辺りは普段どおりの生活、といったところでしたが、バスで数分走ったところの中心商店街などは壊滅的状況。建物の一回部分はどこもなくなっていました。船越で県北バスの宮古行きに乗り換えます。車内で声をかけてくれたおばあさんは山田町の中心部に実家があったそうで、津波でやられたと言っていました。津波で助かっても、その後に火災が発生し、それでやられた家も少なくないとか。津波が来るまで30分ぐらいあったとはいえ、時間がほとんど無いようなものだったと話してくれました。と同時に、自分が宮古の浄土ヶ浜の遊覧船に乗りに行く、と告ぐと「どんどん来て欲しい。大分宮古のほうは日常に近づいてきているほうだから、復興支援のためにも、お兄さんみたいに来てくれる人はありがたい」と言われました。
 宮古からバスに乗って浄土ヶ浜へ。ターミナルビルは地震と津波で立ち入り禁止になっていたり、遊覧船乗り場への海沿いの道も閉鎖されていたりしましたが、ボンネットバスも再開し、徐々に元には近づいてきています。イカ焼もおいしかった。遊覧船もパンを放るとウミネコがすごい勢いで食べていて面白かったんですが、出航直前から出ていた霧ですぐに引き返し。無くすなといわれた乗船券をなくしてしまい、危うく払い戻ししてもらえないところでしたが、1220円戻ってきました。その後、その金で市内で三鉄グッズやらなんやらを買って、盛岡行きの106急行に乗車します。
 一回乗ってみたかった106急行バス。寝ていたらあっという間に着いてしまいました…。盛岡のバス乗り場で時刻表を貰ったり、駅で買い物したりして、北上行きの列車へ。宿は北上だったんですが、一個手前の村崎野で下車し、県交通北上営業所へ行き時刻表を貰いました。たびたびのダイヤ改正のせいか、業者印刷の時刻表ではなく、営業所で印刷の時刻表(カラー)になっていました。村崎野へ戻る途中で大雨に遭い、北上駅へ向かい、買い物を済ませ、ホテルの数十メートル手前で大雨に。全部濡らすところでした。この日は北上川で花火大会もあり、大変いい一日でした。

 次の日は朝6時13分の電車で一ノ関へ。早い時間ですが、結構人が乗っていました。一ノ関で大船渡線に乗換え、気仙沼へ向かいます。到着後、高速バスを待っていたのですが、ここで誤算。乗るはずのバスは気仙沼駅前からではなかったのです。営業所に電話したところ、一番近い停留所は警察署入口で徒歩で4,50分はかかると言われました。でも、グーグルマップで検索したら、28分と出たので早歩きで行ったらそれぐらいで着き、無事乗車。
 気仙沼の市内はバイパス沿いは元に戻りつつあるものの、イオンのあたりは結構砂も多かった。南三陸町は本当にコンクリの建物が骨だけ残っているような状況。恐ろしかったです。テレビで取り上げられていた石巻赤十字病院も見えました。気仙沼から途中の道路は片側交互通行だったりで結構渋滞も激しく、路面状況も悪くなっていました。
 余談ですが、乗ったバスの運転手さん本当に態度悪かった。途中停留所で下車できないってことを知っていたかどうかは分かりませんが、乗客のおじいさんが途中停留所で下車しようとしたいと言い出し、大声でブチ切れ。結構なお客さん乗っていましたが、唖然。「わざとだべ?知ってて下車しようとしたんだべ?」って同じことを3回も言ってキレて、おじいさんもあたふた。下車地は本吉の少し先だったと思いますが、運賃は仙台までのを取られてたみたいです。一応、会社に電話して苦情を出しておきましたが、さすがにひどい。今まで乗ってきたバスの運ちゃんでは、最悪の部類です。
 仙台到着後、時刻表や路線図を貰い、名取へ。駅に併設されているコミュニティプラザで自転車を借りて、今年の震災直前に開局したばかりのハイウェイラジオ名取を受信。次の列車までの時間がほとんど無く、大変でしたが、きれいに受信。そして、常磐線で亘理へ行きます。亘理から先は津波の被害が酷く、代替バス。思えば、去年の夏に常磐線を乗り通したんですよね。震災直後は写真を見たりして、あそこが…なんて思っていました。バスで約2時間ほどで南相馬市の原ノ町駅に到着。駅の売店で民報と地元のパン屋のパンを買います。なかなか美味しかった。市役所まで歩いていき、全国でも異例の市の地デジ放送局を受信しようとしますが、ワンセグ2台ともスルー。結局受信できませんでした。電波は感じているようでしたが…。再び代替バスに乗って相馬に戻り、ここからは福島交通の臨時バス福島-相馬・南相馬線で福島に。峠越えのため、加え旧型の大型バスの最後部だったので、大変揺れました。スリル満点なバスも久しぶりです。福島からはいつもの終電乗り継ぎで帰りました。

 今回、いろいろと東北で土産なんかを買いましたが、観光する分には不自由はほとんどないように思います。市内地は普段どおりの生活に戻りつつあるように感じました。ただ、被害の大きかった市町村や市内地がやられているところはまだまだ時間がかかりそうです。どこへ行っても、来てくれてありがとう、と言ってくれたのが、今回行ってよかったのだと感じさせてくれました。がんばろう、日本。
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