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地震報告

 管理人のみーやです。栃木も震度6強を観測しました。被災されました方々には心よりお見舞い申し上げます。

 地震発生時、私は高校でライティングの授業を受けていたところでした。小テストの回答中に、ミシミシ…と揺れだして、先生が「本震だろうね」と言い出し、しばらくは小さな揺れが続きました。しかし、だんだん大きくなってきて、「柱に寄って!」という声とともに柱によると、激しい揺れ。10秒から20秒は続いていたと思います。窓越しに学校の裏手の住宅の電線が切れて、見えるものは激しく揺れ、今までに無い揺れだと気付きました。女子は泣き叫び、私は携帯でワンセグを起動させ、NHKを見ると、国会中継の映像に「震度7 宮城北部」の文字。別の生徒が教頭が校庭に出ろって言ってる、と言うので、すぐに校庭に。私はそれに気付いていないほかのクラスに行って、指示を伝え、すぐに逃げました。校庭で1時間ぐらい待機して、4時前に下校できるものは解散との指示。そうでないものは、体育館で待機しても良い、とのことでしたが、一刻も早く帰りたい私と友人は、自転車で高根沢に帰るか、などと相談して、そうすることにしました。

 しかし、高根沢-矢板は車でも1時間近くかかるのに、信号も点いていない中どうする、という話になったところで、別の友人の父親と電話がつながり、送ってくれるとの事。なるべく近い場所で拾ってもらうために、国道沿いにずっと歩き、5時半ごろようやく車に乗れました。国道4号は停電で信号も点かず、また県警も幹線路にもかかわらず、まったく人員を配置していないので、事故も多発していました。氏家矢板バイパスを抜けて、蒲須坂付近で渋滞してきたので、農道→グリーンラインに逃げて、宝積寺には6時過ぎぐらいに到着しました。

 宝積寺駅の駅前にある雑貨店は棚が倒れ、店内はメチャクチャ。ちょっ蔵ホールというバンドの練習場は大谷石が部分的に崩れていました。駅もガラスが割れているところがあるらしく、あまり近づかないようにと、商工会のおっちゃんの話。自転車置場に行くと、また別の大谷石作りの農協倉庫が半壊状態。フェンスを越えて、自転車が何台か下敷きになっていました。自分たちは無事、自転車が生きていたので、それで帰ることに。街中は大谷石の塀があちこちで崩れていましたし、街中も古い住宅は半壊しているところもあり、メチャクチャでした。

 家に帰宅すると、家族全員無事である事が確認できました。父親は、本田技研の勤務なのですが、しきりにニュースで死亡者が出ていると言っていたので、心配していました。1階で会議を始める前に遭遇し、すぐにベランダから飛び出したといっていました。その後、恐る恐る建物の中の自分のデスクに行くと、照明が全部落ちてきていたそうです。
 母親は自宅におり、冷蔵庫と食器棚を必死に押さえていたそうです。無理だと気付いて、外に出たそうですが、何も被害がなくて、よかったと言っていました。妹は小学校で体育の授業中、グラウンドで遭遇し、そのまま下校になったそうです。避難場所になるはずの体育館は水銀灯が全て落下してしまい、どうにもならないらしく、その場で月・火の休校を知らされたと言っていました。

 発生日の夜は停電していたので、夕食のパンもそこそこにすぐに寝ました。ラジオをかけていましたが、ずっと緊急地震速報の音が流れていたので、あまり寝られませんでした。次の日は6時半頃に、父親が新聞を持ってきて、「えらいことなっとる!」という声で目が覚めました。震度7の見出しと気仙沼の津波後の写真でした。8時ぐらいまでうだうだして、それから部屋の片づけをしていました。タンス・机・テレビ台、すべてが動き、クローゼットの中は倒れてきた荷物でどうにも出来ず、結局夜中までかかってしまいました。昼になっても電気が点かず、ガスも危ないので、カセットコンロで湯を沸かしてラーメンを食べました。昼2時ごろにようやく電気が復旧し、家族全員みなテレビに釘付け。各地の津波の映像、揺れの激しさを感じました。

 それからは概ね普通の生活に戻りつつありますが、食器や割れ物はもいくつか割れましたし、片付けだけで大変です。水もにごっていて、食用には使えません。街中も父親が食品を買いにあちこち回ったらしいですが、どこも行列ではずれのスーパーでようやく揚げ物だけ買えたといっていました。コンビニも近所のローソンぐらいしか開いていないらしいです。鉄道も東北線の宇都宮-黒磯、烏山線全線が不通で、自分の通う高校にはほとんどの生徒が通学できません。さきほど、担任から休校の連絡がありました。高校のある矢板は断水がずっと続いているらしく、友人からは大変だ、とメールが来ていました。

 今回、大津波の恐怖を思い知らされました。住宅を根こそぎ持って行ってしまう水の恐ろしさ。テレビの映像を見るたびに、信じられないのひとことしかありません。余震もずっと続いていて、夜もあまり眠れません。ましてや震源地に近い地域の方々はなおさらです。それに原発もとても心配です。多くの命が助けられること、そして時間はかかることは確実ですが、皆さんが普通の生活に戻れることを祈っています。


 こんな中でもテレビをしっかり見ていました。発生当初、NHKは国会中継中でしたが、すぐに臨時ニュースに切り替わりました。とちぎテレビも3時前ぐらいに臨時ニュースがスタート。テレビ東京はその前後にニュースが始まっていました。とちぎテレビは確認できた午後6時過ぎまではずっとニュースでした。翌日の朝もスタジオからのニュースを確認しています。昨日の午後3時でニュースを終了し、天カメ映像とL字で情報を提供していました。昨日は午後6時から20分ニュースを放送した以外はすべて、天カメ+L字で終夜放送でした。今日は通常番組を放送しつつ、L字で対応。午後12時過ぎからはまた天カメ+L字で対応しています。
 また、テレビで緊急地震速報も確認しました。とちぎテレビはNHKやキー局の共通音ではなく、自局のニュース速報の音でした。テレビ東京やフジテレビ、日本テレビは地図とテロップでの表示でした。


 ラジオは、発生日午後4時ごろから聞き始めた状況では、NHK第一は言うまでもなく臨時番組、CRTやFM栃木も臨時ニュースでしたが、CRTは共同通信からの情報ばかりで地元の情報は少なかったです。FM栃木は学校生徒無事などの情報と交通情報を中心に、時々JFNからの情報も入れていました。正直、JFNは都市の帰宅についてばかりだったので、FM栃木からのローカルが一番役に立ったと思います。交通管制センターから県内の交通情報も放送されていました。
 翌日、CRTも通常番組を中止して、特別番組を放送していました。全国ニュース→ローカルニュース・イベント情報の繰り返しでした。昼の1時過ぎにようやく交通管制センターからの情報が入っていました。


 現在も各局特別番組で対応していますが、生活情報を第一に報道していただきたいと思います。今回、身をもって痛感しました。

 このあと、私も町内をまわってきたいと思います。
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部屋はこのとおりメチャクチャです。棚のものは全部落ちて、テレビ台もカーテンのあるところにピタッと据えていましたが、かなり動きました。
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