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受験生の夏休み

 また一ヶ月放置。これからもうこんな状態が続くんでしょうね...。

 さて、夏休みが始まりましたが、高校の補講なんかで学校に行かなくて済むのは8月の前半半分だけ。その中でも、山岳部の合宿(最後の山岳部での登山)で奥穂高岳行ったり、東北に行ったりと遊びまわっています。

 7月末には家族で函館にも行ってきました。車で青森まで行き、予定では函館まで特急だったんですが、両親の運賃が高いと一言でフェリーに変更。今回は初めての津軽海峡フェリーに乗りました。青函フェリーとは違って、さすがに運賃が倍近く高いのですごい豪華。勉強もはかどりました。二等客室にある液晶テレビは大間の手前あたりになって、青森のテレビ局が映らなくなり、BSに切り替えました。そこからはワンセグを見ていましたが、函館のテレビ局は結構入りがよかったです。函館では海鮮丼やらいかやら贅沢三昧。夜景を見に行くために函館山にも登りましたが、残念ながら濃霧で見えず。鉄塔どころか局舎壁面のロゴでさえもうっすらとしか見えませんでした。
 翌日は両親が市場でかにを購入し、父親が行きたいと行っていた青函連絡船の摩周丸を見学。帰りは青函フェリーを利用。ほとんど寝ていたので記憶がありません…。本州に到着して、青森から帰る途中、スーパーで秘密のケンミンショーで見た大きな味噌を購入。母親は「この量でこの値段はええな」と大喜びでした。到着は夜中の3時。数時間しか寝ずに翌日学校へ行き、模試を受け…。やっぱり旅行は休みも無いと行けませんね。


 8月1日の深夜からは山岳部の登山で奥穂高岳へ。深夜というのは学校出発が0時だから。貸切バスで行ったんですが、高速乗ったとたんにピーという音。何やろ?と思っていましたが、どうも速度超過の警報音らしく、80km超えるとなってるらしいです。高速乗られへんやん...。2日は朝6時から上高地を出発して登山し、涸沢まで6時間ぐらい登りました。幕営地は岩がゴロゴロしていて寝づらく、設営の時は大雨で大変でした。翌日はサブザックで奥穂高岳山頂まで往復。昼前に涸沢を出発し、バンガローのある上高地までがんばって下山しました。その日は半日登山です。無事、夕方5時前に上高地に到着し、バンガローに。布団で寝られ、温泉もあり、しかも夕食も先生の配慮でレストランに。もう登山で無くなっていますが…。夜中は1年の女子が我々のバンガローに入ってきて、そのまま寝てしまい、面倒を見ていたので寝れず。最後の思い出になりました。途中、高速でFMとうみを受信。報告してみます。


 7日の夜からは復興支援を兼ねてお金を落としてこようと被災地へ。行くのは悩んでいたんですが、隣のクラスの担任の先生(宮城出身)の仙台市荒浜地区にいるおばあさんが津波で家を流されたという話を聞き、その時に「あの被災地のすがたは見といたほうがいい」と言われ、行くことに。池袋から高田・盛経由の釜石行きのバスに乗りました。高田は市内がほぼ壊滅的状況のため、避難者が多いサンビレッジ高田のほうを通ったため、被害状況は分かりませんでしたが、大船渡や釜石はこんな内陸まで、というところまで津波のあとがありました。
 釜石からは岩手県交通の路線バスで船越駅前まで向かいます。釜石も駅の辺りは普段どおりの生活、といったところでしたが、バスで数分走ったところの中心商店街などは壊滅的状況。建物の一回部分はどこもなくなっていました。船越で県北バスの宮古行きに乗り換えます。車内で声をかけてくれたおばあさんは山田町の中心部に実家があったそうで、津波でやられたと言っていました。津波で助かっても、その後に火災が発生し、それでやられた家も少なくないとか。津波が来るまで30分ぐらいあったとはいえ、時間がほとんど無いようなものだったと話してくれました。と同時に、自分が宮古の浄土ヶ浜の遊覧船に乗りに行く、と告ぐと「どんどん来て欲しい。大分宮古のほうは日常に近づいてきているほうだから、復興支援のためにも、お兄さんみたいに来てくれる人はありがたい」と言われました。
 宮古からバスに乗って浄土ヶ浜へ。ターミナルビルは地震と津波で立ち入り禁止になっていたり、遊覧船乗り場への海沿いの道も閉鎖されていたりしましたが、ボンネットバスも再開し、徐々に元には近づいてきています。イカ焼もおいしかった。遊覧船もパンを放るとウミネコがすごい勢いで食べていて面白かったんですが、出航直前から出ていた霧ですぐに引き返し。無くすなといわれた乗船券をなくしてしまい、危うく払い戻ししてもらえないところでしたが、1220円戻ってきました。その後、その金で市内で三鉄グッズやらなんやらを買って、盛岡行きの106急行に乗車します。
 一回乗ってみたかった106急行バス。寝ていたらあっという間に着いてしまいました…。盛岡のバス乗り場で時刻表を貰ったり、駅で買い物したりして、北上行きの列車へ。宿は北上だったんですが、一個手前の村崎野で下車し、県交通北上営業所へ行き時刻表を貰いました。たびたびのダイヤ改正のせいか、業者印刷の時刻表ではなく、営業所で印刷の時刻表(カラー)になっていました。村崎野へ戻る途中で大雨に遭い、北上駅へ向かい、買い物を済ませ、ホテルの数十メートル手前で大雨に。全部濡らすところでした。この日は北上川で花火大会もあり、大変いい一日でした。

 次の日は朝6時13分の電車で一ノ関へ。早い時間ですが、結構人が乗っていました。一ノ関で大船渡線に乗換え、気仙沼へ向かいます。到着後、高速バスを待っていたのですが、ここで誤算。乗るはずのバスは気仙沼駅前からではなかったのです。営業所に電話したところ、一番近い停留所は警察署入口で徒歩で4,50分はかかると言われました。でも、グーグルマップで検索したら、28分と出たので早歩きで行ったらそれぐらいで着き、無事乗車。
 気仙沼の市内はバイパス沿いは元に戻りつつあるものの、イオンのあたりは結構砂も多かった。南三陸町は本当にコンクリの建物が骨だけ残っているような状況。恐ろしかったです。テレビで取り上げられていた石巻赤十字病院も見えました。気仙沼から途中の道路は片側交互通行だったりで結構渋滞も激しく、路面状況も悪くなっていました。
 余談ですが、乗ったバスの運転手さん本当に態度悪かった。途中停留所で下車できないってことを知っていたかどうかは分かりませんが、乗客のおじいさんが途中停留所で下車しようとしたいと言い出し、大声でブチ切れ。結構なお客さん乗っていましたが、唖然。「わざとだべ?知ってて下車しようとしたんだべ?」って同じことを3回も言ってキレて、おじいさんもあたふた。下車地は本吉の少し先だったと思いますが、運賃は仙台までのを取られてたみたいです。一応、会社に電話して苦情を出しておきましたが、さすがにひどい。今まで乗ってきたバスの運ちゃんでは、最悪の部類です。
 仙台到着後、時刻表や路線図を貰い、名取へ。駅に併設されているコミュニティプラザで自転車を借りて、今年の震災直前に開局したばかりのハイウェイラジオ名取を受信。次の列車までの時間がほとんど無く、大変でしたが、きれいに受信。そして、常磐線で亘理へ行きます。亘理から先は津波の被害が酷く、代替バス。思えば、去年の夏に常磐線を乗り通したんですよね。震災直後は写真を見たりして、あそこが…なんて思っていました。バスで約2時間ほどで南相馬市の原ノ町駅に到着。駅の売店で民報と地元のパン屋のパンを買います。なかなか美味しかった。市役所まで歩いていき、全国でも異例の市の地デジ放送局を受信しようとしますが、ワンセグ2台ともスルー。結局受信できませんでした。電波は感じているようでしたが…。再び代替バスに乗って相馬に戻り、ここからは福島交通の臨時バス福島-相馬・南相馬線で福島に。峠越えのため、加え旧型の大型バスの最後部だったので、大変揺れました。スリル満点なバスも久しぶりです。福島からはいつもの終電乗り継ぎで帰りました。

 今回、いろいろと東北で土産なんかを買いましたが、観光する分には不自由はほとんどないように思います。市内地は普段どおりの生活に戻りつつあるように感じました。ただ、被害の大きかった市町村や市内地がやられているところはまだまだ時間がかかりそうです。どこへ行っても、来てくれてありがとう、と言ってくれたのが、今回行ってよかったのだと感じさせてくれました。がんばろう、日本。
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